××とつきあっていた頃、ピアスをもらった。
まだあまりアクセサリに興味のなかったアイにはそれがいいものなのか安物なのかなんて検討もつかなかったが、恋人がくれたものというだけで嬉しくて、大事に両手で抱きしめるようにしてありがとうと笑った。
けれどアイの耳に穴は開いておらず、今その耳たぶに揺れるのはイヤリングだ。
「穴開けるのって、やっぱり痛い?」
身長の高い彼を上目遣いに尋ねるアイの言葉に、彼は軽いノリで答えた。
「別に大したことねぇよ。ちゃんと冷やして、ちゃんとした道具使えばな」
「そうなんだ」
呟いて手のひらの上のピアスを見つめる。
痛みへの僅かな不安と、恋人からのプレゼントを身につけたい気持ちがぶつかりあう。自傷行為はするくせに、ピアス穴を開けることへの恐怖心や痛い思いをしたくない気持ちは不思議と消えないのだ。
「折角だから開けようぜ。俺、他の奴らのもやったことあるし、結構うまいんだ」
「そ、そうなの?」
「おう、だから開けようぜ。そしたらお揃いのピアスつけたりできるしな」
自信満々に言う彼の誘いを断ることはできなかった。
彼がアイのためになにかしようとしてくれることが嬉しかったし、彼の機嫌を損ねたくなかったし、彼の言うようにお揃いのアイテムが増えることは嬉しかったから。
「じゃあ、お願い…しようかな」
返事を聞いた彼は早速と言わんばかりに立ち上がると、はにかむ彼女をベッドに座らせ、自身は保冷剤やタオルを取りに行った。それらをアイに渡して耳たぶを冷やさせている間にカラーボックスの上の小物入れから白いピアッサーを取り出した。
大体10分ほど冷やしただろうか。感覚がなくなってきたあたりで彼はピアッサーをあてがった。
心臓がどきどきする。不安と緊張と恐怖で唇を噛み、ぎゅっと目を瞑り、そのときを待った。
「よし、やるぞ」
呑気な声の直後、覚悟を決める間もなくやや鋭い痛みが走った。
冷たさで感覚が麻痺している箇所が少しずつ熱を帯びていく。
あー…と声をあげる彼を見て、恐る恐る耳たぶに触れる。ぬるっとしたものが指に触れたので指先を見てみると、そこには血が付着していた。
「悪い、冷やす時間足りなかったみたいだ」
ばつが悪そうに謝る彼。とりあえず止血しようと耳にタオルをあてがわれた。言われるがままタオルを手で押さえる彼女に彼は問うた。
「反対側どうする? 怖いならやめとくけど」
少し落ちこんでいる様子に、アイはつい大丈夫と答えていた。
「冷やす時間足りなかったってことは、もうちょっと長くすればいいんだよね? それに折角なら両方に着けたいし…反対側もしてもらえないかな…?」
「アイがそういうなら…」
彼は頷き、右側の耳に保冷剤をあてがった。
そして今度は15分ほど待ち、再びピアッサーを使ってもらった。今度は痛みはあるものの先程のような鋭さはなく、血も出てはいなかった。痛みはピアッサーの衝撃からそう感じただけかもしれないと、アイはほっと胸をなでおろした。
一回目は失敗したとはいえ、二回目はばっちりだった。彼が穴を開けるのがうまいと言うのは本当だったのだと、僅かな疑う気持ちを捨てた。
開けたばかりの穴に新品のピアスをつける。耳元で微かに鳴る音を見ようと鞄から手鏡を取り出す。長い白髪をどけると、淡いピンク色のハートがきらきら揺れていた。
ユミと同棲をするために荷物をまとめていた。
お気に入りのアクセサリたちも持っていこうと引き出しの中のものもひとつひとつアクセサリケースに収めていく。
その引き出しの奥。
とっくの昔に捨てたはずのそれがまだそこにあった。
眉間に皺を寄せてそれを手に取る。若干さびが浮き始めたピンク色のそれは、かつて元彼が初めてプレゼントしてくれたピアスだった。
固まった血のように赤茶色に変色しているそれをごみ箱に向かって投げた。残念ながら外れてしまったが、もうどうでもいい。あのピアスにも、この家にも、もう用はないのだ。
大事なものだけ携えて、アイは嫌な思い出しかない家を出た。
道中無意識に触った耳たぶにはピアス穴の痕だけが残っていた。